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梅雨の十ノ原 (2) [十ノ原]

翌日の日曜日は、朝から小雨だった。

それでも6時半から苅込ハサミを取り出して、気になる場所の雑草やクマ笹を刈ることにした。さすがに建屋の近くは基礎工事で掘り返して砂利を入れてあるので大したことはないが、その周囲となると1ヶ月で膝丈以上に草が生い茂っている。アメリカハナノキはまだ良いが、道路の側溝脇に植えたメグスリノキは名前の札がないと見つけられないほど雑草に埋もれている。ドングリの木も背丈が低く、良く見ないと雑草と区別がつかない。短い夏の間にしっかりと成長させるためにも、日が当たるように、近くの草を刈っておく。たぶん次回にはエンジンの草刈り機で刈ることになるが、このまま放置すると、間違いなく、植えた場所が分らなくなるほど、十ノ原の夏の草の成長は早い。

やがて雨粒も大きくなってきて、本降りの雨になった。建屋に入り、起き出した家内やTさんと朝食をとる。パンと千切りサラダ、ウィンナーに目玉焼き、コーヒーとヨーグルトだ。

今日は、Tさんのリクエストもあって、真田氏ゆかりの歴史館と池波正太郎真田太平記館を見学してから、横浜へ戻ることにした。大人が4人もいると片付けも簡単だ。特に夏場は水の始末も不要なので、ゴミを片付けて雨戸を閉めれば完了だ。

10時前に十ノ原を出発し、まずは真田三代の歴史の足跡を展示してある、真田氏歴史館を訪れた。

上田市から菅平にかけての旧真田町は、戦国時代の武将、真田一族の発祥の地だ。真田家と言えば、真田幸村が有名だが、その父の昌幸、兄の信幸とともに、兄弟親子が豊臣と徳川の両方に分れて一族の存続を計った戦略家だ。信幸が徳川家康の養女で本多忠勝の実子、「小松姫」と婚姻したことで、真田家は出自が外様でありながら、譜代大名待遇を受け、その後に治めた松代藩は幕末までお国替えされることがなかった。小さな歴史館だが、展示や説明が丁寧で、初めての人でも楽しめる趣向になっている。

真田一族といえば、池波正太郎原作の「真田太平記」だろうということで、真田氏歴史館の後は上田駅近くの「池波正太郎 真田太平記館」を見学する。こちらも池波正太郎の直筆の原稿やら、愛用品と並んで、真田太平記に纏わる色々な品が展示されている。真田太平記が連載された時に挿絵を担当した風間完の作品も同時に展示されていて、こちらも小ぶりな博物館ながら、楽しめる内容だった。

その後、雨の中の北国街道を散策し、帰路に着いた。

上田市内で昼食をとってからとも思ったが、ベリーを引きとりに行くために夕方までに横浜へ戻る必要があり、早めに高速道路に乗ることにした。食事はサービスエリアで買ったサンドイッチやおやきを車の中で頬張りながら済ませ、大きな渋滞もなく、横浜に戻ったのが16時半だった。

Tさんご夫婦のおかげで、車の運転もせずに、楽しいよもやま話をしながら、十ノ原を往復できました。

ありがとうございました。 

次回はぜひ、うちの車で、秋の松茸尽くしでも、ご一緒いたしましょう。

 

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