SSブログ

884研ツアー第五弾 広島編 (6) [ぶつぶつ]

元安橋からバスターミナルまで移動する際、もう一度原爆ドームを見ていくことにしました。

今度はドームの東側、川と反対側から原爆ドームを眺めました。こちらはドームの敷地の外に芝生が広がり、大きな木々に囲まれているせいか、少し薄暗く、人もあまりいません。こうしてドームを見た時、ふと今回感じていた違和感(https://sugadaira2011.blog.ss-blog.jp/2019-11-20)の正体が分かった気がしました。

今回の広島訪問では、日本人でありながら、まだ原爆ドームを見たことがないという後ろめたさからか、どれほど悲惨で重たい展示であっても受け止めなければいけないという、覚悟のようなものを胸にして行ったのですが、それがあまりにも観光地のような人混みと、誰もが(私もですが)スマホを片手にドームをバックに写真を撮り、大きな声で話をしていることに不思議な感覚を持ったのでした。ちょうど午後の日差しがドームを照らし、明るくまぶしいくらいだったことも影響していたと思います。

そしてもう一つの違和感は、平和記念資料館の名前でした。その直前に入った国立広島原爆死没者追悼平和祈念館と違い、「記念」という文字が使われていました。平和を願う「祈念」ではなく、平和を祝う「記念」です。原爆がすでに過去のことで、克服されたもののように受け取ってしまい、この資料館に足を踏み込む覚悟のようなものに肩透かしを食らった気がしたのではないかと思います。

広島出身のFT君によると、広島では子供のころから何度もこの資料館に来て、原爆の歴史について学ぶのだそうです。そしてその度に、子供ながらに暗い気持ちになって家路についたと言います。原爆で一瞬で命を奪われた数万人、同日に亡くなったといわれる14万超の方の命、その礎の上に広島の人々が平和を願い、その実現に何十年も苦労して今日があるのだから、平和記念で良いという考えもあります。もう原爆のことを思い出したくないという人もおられるのではと思いますし、被爆者ということで、いわれない差別を受けたことも多かったとも聞きます。資料館の展示も被害にあったひとりひとりの人生に寄りそうものが多く、その分、一瞬で何万人もの命を奪った原爆の非人道性が極端に強調されたものではなかったように思いました。

世界で唯一の被爆地である広島や長崎の人々が、悲惨な歴史を未来永劫語り続ける担い手であらなければならないということはないと思いますが、やはり資料館に足を踏み入れたら、最後までたどり着けないほど厳しい展示や体験があって、とても見られない、足が進まない、そんな重たい体験から、こんな悲惨なものは絶対にこの世にあってはいけないと思わせるような展示であっても良いのではと感じました。

資料館で一番ショックだったのは、赤ん坊を抱いた母親が爆発から子供を守ろうと道路に伏せたところ、その姿勢のままで赤ん坊と一緒に炭化していたという話です。その情景を見た人が何人も絵に書いて残していました。これほどの悲惨な話は、他の兵器ではありえず、もし真っ黒なそのレプリカが展示してあったら、とても直視できないほどのショックを受けたのではないかと思います。そして我々が知りえるような火炎や銃弾とは別次元の、一瞬で命を消し去ってしまう兵器としての原爆の異常さ、惨たらしさを感じ、社会体制や思想を超えて、人類が手にしてはいけないものだと思わせることが出来るように思いました。

最後に見た原爆ドームの裏面は、まさしく廃墟で、70余年もここでじっとあの日の悲惨さを提示し続けている厳しさと寂しさを見せていました。あー、なるほどこれが原爆ドームの姿なんだと思いながら、バスターミナルまで歩きつつ、一方で、その道すがらにあるモダンなお店の街並みを見て、これもまた広島なんだなと思ったのでした。


原爆ドーム裏.jpg

nice!(0)  コメント(0)