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884徳島ツアー (6) [ぶつぶつ]

徳島ツアー、2日目のスタートです。

まずはホテルの朝食から。1Fにあるレストラン「シャングリ・ラ」でバイキングでした。和食から洋食まで、かなりの数の料理が並んでいて、端からちょっとずつ選んで行っても、食べきれないほどの量になってしまいます。今回は洋食に限定して選びました。コーンポタージュスープにサラダ、ベーコンとスクランブルエッグ。丸いのはメンチカツで、クロワッサンにフルーツヨーグルト。もちろんオレンジジュースやコーヒーもありました。

チェックアウトして出発は8時です。市内から徳島自動車道に入って西に向かい、30kmほど走ったところにある阿波PAに駐車しました。ここから10分ほど歩いたところにある天然記念物の「阿波の土柱」が最初の訪問地です。

こちらの景観は130万年前の地層が風雨により浸食されてできた土の群立で、アメリカのロッキー、イタリアのチロルと並んで、「世界の三大奇勝」と称されているそうです。前夜に降った雪が残っていて、少し寂しげでしたが、高さもあって、なかなか迫力のある土の壁でした。でも下の方は崩れてきていて、しばらくすると無くなってしまうのではと心配になりました。

阿波PAに戻り、その先の脇町ICで徳島道を下り、次に向かったのが「うだつの町並み」。ご存じ「うだつの上がらない・・・」のうだつです。現在も普通に生活をしている古い町並みが残されていて、1階のひさしの上に、隣家との間を遮るように瓦屋根付きの壁が立っています。火事の際の延焼を防ぐためだったそうですが、鬼瓦が睨みを効かせた立派なもので、なるほどお金がないと作れないなぁという感じです。うだつが上がらないという意味が良く分かりました。維持管理が大変そうで、だいぶ傷んで崩れているものもありました。観光用に助成もあるのでしょうが、こちらも心配ですね。

その後、徳島自動車道を東に戻り、藍住ICで下りて、午前最後の訪問地、鳴門市の「ドイツ館」に向かいました。ここは第一次世界大戦時に、日本が中国で捕虜にした(俘虜と呼んでました)ドイツ兵を収容した「坂東俘虜収容所」があった場所で、その記念館として建てられたものです。入館料は400円でしたが、JAFのメンバーが二人いたので、8人とも2割引の320円でした。

当時の坂東俘虜収容所では、捕虜といっても、ドイツ人の自主性を重んじた管理がなされ、本を印刷したり、ビールを作ったり、さらには音楽も楽しめたそうです。ドイツ兵の楽団は地元の音楽団とも共演し、ベートーベンの交響曲第九番を、全楽章合唱付きで、アジアで初めて演奏したとありました。

その後、ドイツ兵らは母国に帰国するのですが、莫大な第一次大戦の賠償金を課されたドイツ国民は貧困になり、ヒトラーのナチス思想に傾倒していってしまうのです。

また、驚いたことに、ドイツはこの賠償金をまだ払い続けているそうです。終わるのは2020年。第一次大戦が終了してから100年以上、親も知らないような昔の戦争の代償を国家予算として毎年計上するドイツと、戦後20年で1兆円の賠償金を払い終え、「もはや戦後ではない」と高度経済成長にまい進してきた我が国。戦勝国のアメリカとの親密関係など、日本の「水に流す文化」は他の国、特にかって日本が統治した国からは、なかなか理解されないのかもしれません。

中国へのODAは最大で3.6兆円で、金利優遇だけでも毎年300億円。「先進国だし、かって迷惑をかけたのだから当たり前」と割り切れないのは、心が小さいのでしょうかね。日本では第一次世界大戦のことはあまり勉強しませんが、いろいろと考えさせられる時間でした。

おっと、ちょっと話が逸れました。 

さあ、次はランチです。 

 

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