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不愉快なテレビ [ぶつぶつ]

昨日のフジテレビ、「とんねるずのみなさんのおかげでした」は、至極不愉快な内容だった。

「男気じゃんけん」と言って、じゃんけんで勝った人が地元の名産品などを大量に買う(買わされる)趣向だ。じゃんけんで勝ったのに、必要がないような高額の物を買わなければいけないという、理不尽さを「男気」と呼ぶ、おふざけの範疇でのお笑い番組だ。地方に行って、その地域の名産品を紹介して活性化したり、復興支援に貢献する側面もあるらしい。

最後の方になると、一品で何十万円という、とんでもない金額のものを買わされるのだが、「これが男気だ」と財布から札束を出している様子を見ても、どうせ後から番組経費で落とすのだろうと思うと、お笑いのネタとして許せる。

じゃんけんに負けて喜んだり、勝って残念がるような「男気」がないしぐさをすると、おもちゃのバットを持った黒子が出てきてケツバットで制裁するのも、叩かれた人が本気で痛がるしぐさを見せるのも、まあ、番組の演出の範囲として、笑いを許せる範囲だ。 

だが、じゃんけんの勝ち負けに関わらず相手や周囲に張り手をして蹴りを入れたり、ましてや、一人の財布を貴さんが盗って、別の人の持ち物の中に入れて犯人に仕立てて、笑いながら制裁するあたりは、あまりにもやり過ぎだった。

僕も、今までならそれほど気にせずに笑っていたかもしれないが、折しも、大津市や浜松市で中学生がいじめで自殺したり、高校生が川で溺れさせられて心肺停止になるなど、深刻ないじめが社会問題化している時だ。笑いながら相手に苦痛を強いることがいじめの原点にあることに考えが及べば、放送を延期したり、内容を変更するぐらいは出来たはずだ。

いやならチャンネルを変えれば良いと言う人がいるだろう。だが、一度見てしまうとその不愉快さは消えないし、たとえ自分が見てなくても、誰かがあれを見て笑っている、あるいは悲しんでいると思うだけで、不愉快な気持ちにさせられる。

テレビや新聞、雑誌などのマスメディアに表現の自由が認められているのは、発信する内容に責任を持った上でのことだ。もちろん、誰にでも嬉しいこと、楽しいことだけを発信するのは簡単だし、中には一部の人に不利益、不愉快を与えるような事案も、熟慮の上に発信することもあるだろう。価値観も人それぞれだから、多少の人に不愉快な思いをさせても、喜ぶ人がいるなら許される場合もあるだろう。

でも、昨日の番組はそんな内容ではなかった。いじめに考えが及ばない人は、ただ見て面白がっただけだろうが、放送を延期しても、見れなくてどうしてくれるのだと怒鳴りこまれるようなものではなかった。

震災の余波で苦労している茨城県の道の駅で撮影されたことでも、不愉快さが際立った。あんなに苦労している人たちの産物を使って、こんな不愉快な番組を作る意味はなかった。番組の視聴者層や、とんねるずが影響を与える年齢層を考えても、配慮があるべきだった。

笑いの本質は想像力だ。どんな芸人も、見た人の感情を想像しながら、慎重に、言葉を、しぐさを、掛け合いを考えて、笑いを搾り出している。

お笑いなら何でもありというのは、安易で傲慢だ。 

6日には、朝の番組でいじめの加害者の名前が透けて見える失態も犯している。

フジテレビ、ちょっとタガが緩んでいないか?

とんねるず.jpg 


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